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 にっき。

ほんとうはよくわからないコンピューターグラフィックス。

書評 「恋する二郎」

 冬コミで友人の手を借りて「恋する二郎」を手に入れたのですよ。

 おもしろかったからなにか書こうと思ったのだけど、書評なんて高尚な文章の素養は生憎持ち合わせていない上に、自分自身はそもそも京都在住なので二郎には通えない。かわりにちょっとした読書感想文兼紹介文でも。

恋する二郎
 2012年1月1日発売
発行
 ソシオグラフィ研究会
目次
 「二郎はラーメンではない。二郎という食べ物である。」
  二郎の四十年、おやっさんの四十年。
  JIRO beginners' tutorial
  速水健朗・反=アニメ批評「さようなら、ジロリアンたち。」
  主な仕様

 

ラーメン二郎」というジレンマ

 「二郎はラーメンではない。
 二郎という食べ物である。」

 本書の全文を要約するならば、おおよそこの一言に尽きるように思う。「ラーメン」を冠しながらもそう呼ばれることを良しとしない。そんなジロリアンたちの捻じ曲がったアイデンティティ、プライド、そして、なによりもその深い愛情を描いた、薄い本である。

 ただ、本書を通読すると「二郎」とはそもそも食べ物であるかどうかすら怪しいように思えてくることも添えておきたい。もちろん、一度でも「二郎」を経験すればそれが「食べ物」ではないように感じはするのだが、それはさておき。

 

二郎物語

 東京はときに空虚な街と言われる。中央に広場がある西欧とは違い、この年の中心にはなにもない森がある。その深い森から三キロメートルほど南、親子が方を並べて二郎をつくっている。包丁で豚を切り分ける父のその指には包帯が巻かれ、茹で上げた野菜を釜から上げる子の額にはうっすらと汗が浮かぶ。厨房に四十年以上立ちつづけた男の仕事は、それを愛した者たちによって広げられ、血を分けた者にいま受け継がれようとしている。

 本を開くとまず見開きで相模大野店(だと思う)の外観写真に、漱石「三四郎」の一節が添えられている。ページをめくると新小金井店、品川店、著者・岡村康太郎氏のポエム。次に「二郎」の紹介、豚、スープ、ヤサイ、麺についての概説。そして、「二郎の四十年、おやっさんの四十年。」へと続く。

 まずは「おやっさん」の開業から、現・ラーメン二郎三田本店に至るまでの経緯について。ちょっとした感動モノで正直おもしろい。三田本店が慶應生御用達なのは知ってたけど、なんだかんだ一役買ってたんだなぁ。

 そして予想以上に都心部に拡散する二郎一系。より詳しい店舗紹介はPC店からどうぞ。インスパイア系の紹介もあったけど、例えば僕の住む京都では夢を語れ・地球規模で考えろの二店ですね。また、個人的に敬愛するラーメン店であるところの豚人、ここのご主人が尊敬するラーメン店は夢を語れであるとのこと。二郎系は重すぎると感じる京都人はぜひ豚人へ。

 

二郎のススメ

二郎は気になるけど、行くのはちょっと怖い。
そんなあなたのために、押さえるべきポイントと準備フローを大公開。
これを読んでジロリアンとしての一歩をいざ踏み出そう!

 次郎物語を読み終えると、見開きの右ページにではちゃもーいさんの(二郎とは似ても似つかない)イラストにのせて。来店1週間前から始めるカラダづくり、前日のイメトレ、当日のTipsまでを解説。登場キャラクターがどうみてもおとこのこで 違和感がハンパない ほんとうにすばらしい。

 tutorial を読んで準備ができたら、見開きの左ページで持ち物検査と店舗選び。黒烏龍茶、ウェットティッシュ、ハンドタオル、フリスク、待ち時間用の文庫本は是非。つーか仙台店なんてあったんだな、遠征にもほどがある……。

 

愛するための批判

僕は二郎とは交換可能な存在だと思っています。そもそも二郎は味が問われないわけですから、養豚場でも容易に再現可能です。だからこそ亜流やインスパイア系がある。さらに言えば、歌舞伎町店や池袋東口店はすでにフランチャイズ化されていて、営業時間も長く、味も二郎というよりはラーメンに近い。ハードルの低い直系として一般人の客も多いです。

 著書で広く現代社会論を扱う速水健朗氏と、「ジローライゼーション」を提唱する反=アニメ批評(アニメルカ編集長)氏。二人が全力で「二郎」を批判する対談記事。汚い、豚の餌、醜悪、人間性を喪失していくゲーム、いずれ確実に死ぬ。それはもうボロクソに批判する。

 一般的に、重度のジロリアンであるほど、心置きなく二郎を酷評しているようにみえる。自分の知り合いもそうなのだが、この対談を読んでその理由がとてもすっきりと整理できた。

 自らに対するスノビズムを巻き込みながら、非日常であるところの「死」をアミューズメント化する二郎イズム。ネット上で断片化された「二郎像」を皆で共有して展開される自虐は、まさに現代的データベースモデルといえる。(最初はなんとなく物語消費モデルに近いのかと思ったけど、正直そこまで一貫した綺麗な世界を共有してるようにはみえない。)

 斯様に屈折した二郎イズムは、動物的インスパイアに飲み込まれてしまうのか。

 

 以上。

 なんていうか、普通におもしろい本だったw これ書いたひとたち、いい感じにエンタメ屋さんだよなぁ。ていうか、今更気付いたのだけど、これ、中の人たちってSFCなのかね。てことはたぶん2ホップか、下手したら1ホップで辿りつける気がする。。次のコミケは友人に頼らず自分で買いにいこう!